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高松高等裁判所 昭和25年(う)899号 判決

控訴人 検察官 田中泰仁

被告人 横田盛喜

主文

原判決を破棄する。

本件を高知地方裁判所に差し戻す。

理由

検察官(高知地方検察庁検事岡村三郎)の控訴趣意は別紙記載の通りである。

控訴趣意第一点について。

論旨は原判決が本件公訴は訴因が不特定であるとして公訴を棄却したのは不法であると主張する。仍て考察するに公訴事実は訴因を明示してこれを記載しなければならず、訴因を明示するにはできる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならないことは刑事訴訟法第二百五十六条第三項の明定するところであり、右「できる限り」とは勿論「できる限り厳格に」の意味であつて場合によつては全然特定しなくてもよいという趣旨でないことは云う迄もない。しかし右規定の文言より観ても訴因の特定は裁判所が判決において事実を確定すると同程度の厳格さを要求しているものとは解せられず、そこに或程度のゆとりが存するものと謂わなければならない。蓋し検察官が限られた捜査期間内において且つ被疑者の供述に依存しないで証拠を蒐集しなければならない新刑事訴訟法の下においてすべての案件につき公訴提起の際訴因を完全に特定しなければならないとすることは検察官に対し些か酷に失することとなるであろう。従て訴因を厳格に特定することは望ましいことではあるけれども、事案によつては訴因の或部分が不明確であつても訴因全体として一応他の訴因と区別でき且つ被告人が防禦権を行使し得る程度に具体的事実が示されていれば訴因が明示されたものと見ることができるものと解する。然らば次に訴因が不明確な場合にその補正追完は絶対に許されないものであろうか。原判決は「訴因を特定せずにした起訴は刑事訴訟法第二百五十六条に違反し無効であり後日之を補正追完することにより有効となるべき筋合のものではない」と説示している。しかし訴因が全然不特定であつてその補正追完の余地が全くないものは論外としても訴因として一応具体的な犯罪構成要件事実が示されている以上は検察官自らまたは裁判所の釈明により検察官がその不明確な点を補正追完することは許されるものと解する(これは訴因の変更ではない)。このことは併合罪の関係に立つ数個の同種行為が全体としては一応特定せられているが各行為の一々につき特定を欠くような場合においてもまた然りと謂わなければならない(尤も検察官はできる限り各訴因を特定して起訴すべきであることは多言を要しない)。当裁判所は以上の如き見解の下に本件の場合につき検討するに、本件公訴事実は「被告人は昭和二十三年五月下旬高知市北奉公人町三百十八番地三和工業株式会社徳平元太郎から同会社に必要な製紙原料楮、三椏の購入方の依頼を受けこれが前渡金としては依頼者徳平が手形を振出し被告人において適宜これを割引の方法で現金化した上右購入現金に充当することとなしその頃右徳平から振出人は何れも三和工業株式会社社長徳平元太郎で支払場所は各四国銀行上街支店その一通の額面十万円支払期日同年七月二十五日他の一通の額面二十万円支払期日同年七月三十日の約束手形合計二通を渡されたのでこれを周旋人を介して同市若松町二十番地宮地八重喜から金二十万九千円で割引を受けこの割引金を以て三和工業のため製紙原料を購入しようとしたところ右原料が漸次高騰したためこれが入手困難となり僅かに金五万円に相当する製紙原料を購入して三和工業に納め残金は尚前記三和工業の製紙原料購入のため預り保管中その頃擅に高知市その他において自己のため「松やに」「菜種の実」「密柑」等を購入し以て右金員を費消横領したものである」と謂うのであり、罪名として横領、罰条として刑法第二百五十二条第一項を掲げている。これに対し原判決は「右公訴事実は保管中の金員費消の都度横領罪が成立しているということに帰し数個の犯罪の成立を前提とするものであるのに拘らずその個々につきこれが訴因を特定せしめず漫然と起訴せられたものである」として訴因が特定せられていないと説示している。しかし右公訴事実は被告人が保管中の金員を「松やに」その他を購入のため数回に亘つて費消した趣旨であることは窺えるけれども、原判決の如くこれが直ちに数個の横領行為の趣旨であるとは即断できない。何となれば甲より預つた金員を保管中自己のため数回に亘つてこれを費消した如き場合において被害法益が単一で継続した意思の発動に基き比較的日時が近接して同種行為がくり返されているようなときはたとえ費消行為が数個であつてもこれを包括して観察し一個の費消横領罪と見るのが相当である場合もしばしば存するからである(連続犯の規定が削除された今日一罪か併合罪かにつき連続犯が認められていた当時と同様の罪数観念に従うことは妥当でない)。従て本件公訴事実を原判決の如く数個の費消横領行為と見るときは勿論訴因が特定されていないと謂わなければならないけれども、若し一個の費消横領行為と見るときは犯罪の日時場所費消金額その他横領罪の構成要件事実が一応明示されているから訴因が特定されていると謂わなければならない。この様な場合においては第一審裁判所は須らく公判審理のなるべく早い段階において一個の費消横領事実であるか数個の費消横領事実であるかにつき検察官に対し釈明を求め、若し後者の趣旨であるならば各費消横領行為毎に費消の日時場所金額使途等につき起訴状の補正追完を許すのが妥当な措置と思料される(尚本件においては原審は第十二回公判に至つて検察官に対し費消の内容を個別的に明かにされたい旨釈明を求め、第十四回公判において検察官は昭和二十五年六月三日附訴因変更請求書に基き金員費消の内訳を明かにしている)。而して後者の場合裁判所の釈明に対し検察官が補正追完をしないときにおいて始めて公訴を不適法として棄却すべきか否かを決すべきであろう。

次に本件においては予備的訴因として背任罪の訴因(その要旨は被告人は昭和二十三年五月下旬前記三和工業株式会社社長徳平元太郎から同会社に必要な製紙原料購入事務の委任を受けその事務処理のため右徳平から右購入資金として借受けた前記約束手形二通を二十万九千円で割引して現金化したが被告人は右資金を使用して誠実に右受任事務を処理すべき任務を有するに拘らずその頃金五万円に相当する製紙原料を購入してこれを同会社に納入しただけで残額の金員は自己の利益を図るため「松やに」等を購入し以て前記任務に背いた行為をなし右残額の資金による製紙原料の取得を不能ならしめこれが為同会社に対し金十五万九千円に相当する財産上の損害を蒙らしめたものであると謂うのである)が追加されているところ、原判決は右訴因についても数個の背任罪の成立があるものとして訴因が特定されていないと判断している。しかし原審の見解並に措置に賛し難いことは前記横領の訴因について述べたところと同様であるからここに再論することを省略する。

これを要するに原審は本件公訴事実につき一個の費消横領(又は背任)であるか数個の費消横領であるかについて検察官に対し釈明を求めることなく、数回に亘る費消行為(又は任務に背いた行為)を直ちに併合罪の関係にあるものとし且つ特定せられていない訴因については後日補正追完は許されないものとの見解の下に本件公訴の提起は刑事訴訟法第二百五十六条の規定に違反した無効のものであるとして本件公訴を棄却したのは叙上説示の理由により失当であつて、論旨は理由があるものと謂わなければならない。

仍て爾余の論旨に対する判断を省略して刑事訴訟法第三百七十八条第二号(不法に公訴を棄却したこと)第三百九十七条により原判決はこれを破棄し、同法第三百九十八条により本件を原裁判所たる高知地方裁判所に差し戻すこととする。

仍て主文の通り判決する。

(裁判長判事 坂本徹章 判事 塩田宇三郎 判事 浮田茂男)

検察官の控訴趣意

第一点原判決は不法に公訴を棄却した違法がある。即ち原判決は「本件第一次公訴事実は、被告人は昭和二十三年五月下旬高知市北奉公人町三百十八番地三和工業株式会社徳平元太郎から同会社に必要な製紙原料楮、三椏の購入方の依頼を受けこれが前渡金として依頼者徳平が手形を振り出し被告人に於て適宜これを割引の方法で現金化した上右購入現金に充当する事となし、その頃右徳平から振出人は何れも三和工業株式会社社長徳平元太郎支払場所は各四国銀行上街支店その一通の額面十万円支払期日同年七月二十五日他の一通の額面二十万円支払期日同年七月三十日の約束手形二通を渡されたのでこれを周旋人を介して同市若松町二十番地宮地八重樹から金二十万九千円で割引を受け、この割引金を以て三和工業のため製紙原料を購入しようとしたところ、右原料が漸次高騰したため之が入手困難となり僅かに金五万円に相当する製紙原料を購入して三和工業に納め、残金は尚前記三和工業の製紙原料購入のため預り保管中、その頃ほしいままに高知市その他に於て自己のため「松やに」「菜種の実」「蜜柑」等を購入し、以て右金員を費消横領したものであると言うのであり、第二次的予備的訴因は被告人は昭和二十三年五月下旬高知市北奉公人町三百十八番地三和工業株式会社社長徳平元太郎から同会社に必要な製紙原料楮、三椏の購入事務の委任を受けこれが事務を処理するため同人から額面三十万円の約束手形で前渡資金を借り入れる事になり、その頃右徳平から同会社に納入すべき製紙原料を購入する事務を処理する資金に充てる為にのみ使用する約定の許に振出人は何れも三和工業株式会社社長徳平元太郎支払場所は各四国銀行上街支店その一通の額面は金十万円支払期日同年七月二十五日他の一通の額面金二十万円支払期日同年七月三十日の約束手形合計二通を渡されたので即時これを周旋人を介して同市若松町二十番地宮地八重樹から金二十万九千円で割引を受けて現金化したが右借入資金は前記約定に依り同会社のため、その受任事務を処理する目的を以て融資せられたものであるから、被告人は前記受任の趣旨に従いこの資金を使用して誠実にその事務を処理すべき任務を有するに拘らず、その頃僅かに金五万円に相当する製紙原料を購入してこれを同会社に納入しただけで残額の金員は自己の利益を図るため、ほしいままにその頃高知市その他に於て自己のため「松やに」「菜種の実」「蜜柑」等を購入し、以て前記任務に背いた行為を為し右残額の資金による製紙原料の取得を不能ならしめ之がため同会社に対し少くとも金十五万九千円に相当する財産上の損害を蒙らしめたものであると言うのであつて、第一次的公訴は要するに自己のため松やにや菜種の実や蜜柑等を購入して費消することにより横領したと言うのであるから費消の都度横領罪が成立していると言う事に帰し、又第二次的公訴の背任罪も自己の利益を図りほしいままにその頃高知市その他の場所で松やにや菜種の実や蜜柑等を購入しその都度任務に背いた行為をして各本人に財産上の損害を与えたと言う趣旨であつて、両者孰れも数個の犯罪の成立を前提とするものであるにも拘らずその個々に付之が訴因を特定せしめず前掲の如く漫然と起訴せられたものである。従つて検察官はその各個の訴因を特定せしめるため昭和二十五年六月三日附訴因変更請求書並に予備的訴因変更請求書を提出し同年六月十九日の公判に於て之を朗読した。然しながら公訴事実は訴因を特定して起訴すべきことは刑事訴訟法第三百五十六条の明定するところであり各個の訴因を特定して起訴すると言う事はその個々が夫々独立した犯罪を構成するものなる以上絶対的に要請せられるところであつて一の犯罪を他の犯罪と区別することが出来ない形に於て起訴することは許されないものと言わなければならない。或は前記の刑事訴訟法第二百五十六条には訴因を明示するにはできる限り日時場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならないとあるから、訴因を特定するのはできる限りの範囲ですればよいのであつて何時迄の間に何処その他の場所でと言う程度に記載してもよいのであると言う様な論もあるかも知れないが右のできる限りと言うのは、できる限り特定すればよいのであつて、できないときは特定しなくてもよいと言う趣旨のものではなく、訴因は少くとも各事実毎に特定しなければならないがその特定する方法に付ては能う限り日時場所及び方法を以てせよと言う趣旨であつて、夫々の事実が併合罪の関係にある以上数個の事実は少くともできる限りの方法で各々他の事実と区別し得る様に記載することを要するのは理論上当然なことである。若し不特定な公訴が許されるとするならば恐らくは不特定な儘の形の起訴が原則化するであろう。そして如何に複雑な数十個の事案でも何年何月何日から何年何月何日迄の間何処その他に於て数十回に亘り何々を何々したと言う形の下に起訴せられ而もその起訴には一覧表も不要と言う理論になるのであるから訴訟当事者に審判の対象が判明せず惹いては被告人の防禦権に実質的な不利益を及ぼすことは明かである。従つて訴因を特定せずにした起訴は刑事訴訟法第二百五十六条に違反し無効であり後日之を補正追完することにより有効となるべき筋合のものではない。斯様に考えると刑事訴訟法第三百十二条には訴因の変更が許されてはいるが之は訴因の特定していることを前提とした訴因を変更すると言うことであつて不特定な訴因を補正追完してその特定を許す趣旨ではないと解すべきである。或は訴訟経済上の見地から特定の為の訴因の変更が許さるべきであると言う論もあろうと思われるが、本件の場合は新刑事訴訟法理論の解明中途の事件で当裁判所自身も疑問とするところであつた為此の判決は些か時機は失したが、若しこう言う解釈が確立せられたならば今後は此の様な事もあり得ないし、訴因の特定を許すとした場合は前述の如く相つづいて不特定な公訴が提起せられ而も訴訟経済と言う美名の下に不特定な公訴を訴因を変更して特定せしめる為に徒らに長期間を公廷に継続しなければならない不合理が発生する。而も併合罪の関係にある事実は個々に区別し得る様特定したものでなければならぬことは既に確立された原則であるから法廷で始めて之を特定しようとすることは、現在のところでは(前記の如く若し不特定な起訴が許されることに確定すれば将来は恐らくそれが原則化するであろうが)概ね起訴官の不用意の為発生した出来事である場合が多いであろう。従つて検察官が無準備の儘で証拠を提出しなければならぬ結果となりその公訴を維持する為極めて困難な事態に逢着し惹いては真実発見に添わない結果を誘引することにもなる場合があるであろう。それよりも寧ろ公訴棄却の判決後十分捜査を遂げ新な態勢を整えてはつきりとした明確な公訴を提起する方が却つて訴訟を短期的に終結に導くことともなり得ようし、又真実発見にも添い得る訳である。結局本件公訴はその提起の手続が法律の規定に違反し無効であるから刑事訴訟法第三百三十八条第四号に則り之を棄却すべきものである。」とし起訴状の無効を理由として、本件公訴を棄却する旨の判決をなしたのである。

然し乍ら本件横領被告事件につき、検察官の起訴した第一次的公訴事実は「被告人は昭和二十三年五月下旬高知市北奉公人町三一八番地三和工業株式会社徳平元太郎から同会社に必要な製紙原料楮、三椏の購入方の依頼を受けこれが前渡金として依頼者徳平が手形を振出し被告人に於て適宜これを割引の方法で現金化した上右購入現金に充当する事となしその頃右徳平から振出人は何れも三和工業株式会社々長徳平元太郎支払場所は各四国銀行上街支店その一通の額面十万円支払期日同年七月二十五日他の一通の額面二十万円支払期日同年七月三十日の約束手形合計二通を渡されたのでこれを周旋人を介して同市若松町二十番地宮地八重樹から金二十万九千円で割引を受けこの割引金を以て三和工業のため製紙原料を購入しようとしたところ、右原料が漸次高騰したためこれが入手困難となり僅かに金五万円に相当する製紙原料を購入して三和工業に納め残金は尚前記三和工業の製紙原料購入のため預り保管中その頃擅に高知市その他に於て自己のため「松やに」「菜種の実」「蜜柑」等を購入し以て右金員を費消横領したものである。」と謂うのであつて起訴状記載の公訴事実には被告人が委託を受けた趣旨、被害者、被告人の保管した金額、その費消した金額、犯罪の手段方法等は明確に特定されて居り、その犯罪の日時等についても冒頭の委託を受けた日時に対応して「その頃」と記載してあり、その場所とても又「高知市その他に於て」とあつて公訴事実に包含されている数個の訴因は全体として特定されている。その数個の訴因がそれぞれ個別的に何月何日何処で金何円を費消横領したと言う程度に区別することに於て稍々明確を欠いだ嫌いはあるが少くとも全体としては特定されているのである。又予備的訴因として追加請求した公訴事実も「被告人は昭和二十三年五月下旬高知市北奉公人町三一八番地三和工業株式会社々長徳平元太郎から同会社に必要な製紙原料楮、三椏の購入事務の委任を受けこれが事務を処理するため同人から額面三十万円の約束手形で前渡資金を借入れる事になりその頃右徳平から同会社に納入すべき製紙原料を購入する事務を処理する資金に充てる為にのみ使用する約定の許に振出人は何れも三和工業株式会社々長徳平元太郎支払場所は各四国銀行上街支店その一通の額面は金十万円支払期日同年七月二十五日他の一通の額面金二十万円支払期日同年七月三十日の約束手形合計二通を渡されたので即時これを周旋人を介して同市若松町二十番地宮地八重樹から金二十万九千円で割引を受けて現金化したが右借入資金は前記約定に依り同会社の為その受任事務を処理する目的を以て融資せられたものであるから被告人は前記受任の趣旨に従いこの資金を使用して誠実にその事務を処理すべき任務を有するに拘らずその頃僅かに金五万円に相当する製紙原料を購入してこれを同会社に納入した丈けで残額の金員は自己の利益を図る為擅にその頃高知市その他に於て自己のため「松やに」「菜種の実」「蜜柑」等を購入し以て前記任務に背いた行為をなし右残額の資金による製紙原料の取得を不能ならしめこれが為同会社に対し少くとも金十五万九千円に相当する財産上の損害を蒙らしめたものである。」と謂うのであつて、被告人の受任関係、受任事務の内容、被害者、被告人が融資を受けた金額、その費消した金額、犯罪の手段方法等は明確に特定されて居りその犯罪の日時、場所、金額等に於て数個の訴因をそれぞれ個別的に区別することに於て第一次的公訴事実と同様稍々明確を欠いだ嫌いはあるが少くとも公訴事実に包含されている数個の訴因は全体として特定されているのである。然るに原審はこの訴因の特定に関して「公訴事実は訴因を特定して起訴すべきことは刑事訴訟法第二百五十六条の明定するところであり各個の訴因を特定して起訴すると言う事はその個々が夫々独立した犯罪を構成するものなる以上絶対的に要請せられるところであつて一の犯罪を他の犯罪と区別することが出来ない形に於て起訴することは許されないものと言わなければならない。或は前記の刑事訴訟法第二百五十六条には訴因を明示するにはできる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならないとあるから、訴因を特定するのはできる限りの範囲ですればよいのであつて何時迄の間に何処その他の場所でと言う程度に記載してもよいのであると言う様な論もあるかも知れないが右のできる限りと言うのは、できる限り特定すればよいのであつて、できないときは特定しなくてもよいと言う趣旨のものではなく、訴因は少くとも各事実毎に特定しなければならないが、その特定する方法に付ては能う限り日時場所及び方法を以てせよと言う趣旨であつて、夫々の事実が併合罪の関係にある以上数個の事実は少くともできる限りの方法で各他の事実と区別し得る様に記載することを要するのは理論上当然なことである。若し不特定な公訴が許されるとするならば恐らくは不特定な儘の形の起訴が原則化するであろう。そして如何に複雑な数十個の事案でも何年何月何日から何年何月何日迄の間何処その他に於て数十回に亘り何々を何々したと言う形の下に起訴せられ而もその起訴には一覧表も不要と言う理論になるのであるから訴訟当事者に審判の対象が判明せず惹いては被告人の防禦権に実質的な不利益を及ぼすことは明らかである。」と謂うけれどもその誤れることは言う迄もない。本件公訴に於て検察官は最善の努力を尽して、各訴因を少くともその全体に於て特定して起訴したのであるから、数個の訴因を区別することに於て稍々明確を欠いだ嫌いはあつたがこの程度を以て法文の要求する「できる限り」その訴因を特定したと言うべくこの程度を以て事案は具体的に特定されていると解すべきである。従つてまたこの記載は被告人に対して、審判の対象範囲を指示するには必要にして十分なるものと言わねばならない。この程度の訴因の明示あるにおいては被告人が防禦権を行使するにその対象の何であるかが充分に認識され得る処と考えられる。けだし、訴因の特定と言うことは、起訴状が一個の訴因を内容とする場合はその訴因が全体として特定され得ると考えられる程度に明確になつていることであつて、その訴因を特定させる因子とも言うべき個々的行動の日時、場所、方法、目的物等の逐一までも明確にしなければならないと言うものではなくその各因子の或るものに不特定な部分があるとしても他の因子と相俟つてその訴因が全体として特定される程度に明確なるを以て足り又起訴状が数個の訴因を内容とする場合には個々の訴因中の一部の因子である日時、場所、金額等について明確を欠いで居つたとしてもこれを合わせた総体に於てその日時の範囲、場所の範囲、金額の合計が明確となつて居るときはこれと各訴因のその他の明確なる因子である委託若くは委任事務の内容、被害者、犯罪の手段方法等と相俟つて起訴状における数個の訴因が全体として特定されその限界が明示されていることになるのであつて刑事訴訟法の予定する訴因制度の要請は完全ではないにしてもこの程度に明確にするを以て達していると言わねばならない。従つて違法ではない。思うに刑事訴訟法には「訴因の特定、明示」が要求されているが抑々訴因の特定明示を訴訟法が要求しているのは以下の二つの要請に基ずいているのである。その一は、審判の対象を限定し既判力の範囲を明確にするためであり、その二は刑事訴訟法第三百三十五条との関連に於て、有罪判決を言渡すべき要件として訴因の特定、明示を必要とするからである。この後者の要請における「訴因の特定、明示」は勿論絶対的要件である。従つて審判の過程中に訴因の特定、明示に欠ける処があれば、犯罪の証明の対象が明示されないのであるから、裁判所は有罪判決を下すことができない。この為めに検察官は訴因の追加、撤回、変更を申請し、又裁判官は職権で上述の処置を検察官に命令しなければならないのである(刑事訴訟法第三百十二条)。これは裁判官、検察官に課せられた義務で、この義務の根拠は刑事訴訟法第二百五十六条に求めるべきではなく、同法第三百三十五条にこれを求めるべきである。されば、高松高等裁判所第一部が昭和二十五年四月二十二日業務上横領被告事件についてなした判決中その判決理由において「原審は、右各事実につき釈明を命じ訴因の変更を命ずる等の方法により、これを分別特定した後、審理判決すべかりしものであつて、原判決は前示各事実につき併合罪の判示として理由不備の違法がある」と説示したのはこの意味において、理解せらるべきものである。

本件公訴に於てはこれを包含する数個の訴因は全体としては特定、明示されていたが各訴因を区別することに於て稍々明確を欠く嫌いがあつたため原審は第十二回公判廷において検察官に対し「横領若くは背任いづれにしてもその費消した内容を個別的に明かにせられたい」とその釈明を命じた。因て検察官は昭和二十五年六月三日附訴因変更請求書並に予備的訴因変更請求書を提出し同年六月十九日の第十四回公判廷に於てこれを朗読した。その起訴状並に予備的訴因追加請求書に記載された被害金額は十五万九千円であり、変更訴因に記載された金額は八万四千円であつてその数字に於て七万五千円の齟齬があるがこれは公訴事実の同一性を害するものではない。被告人が起訴状並に予備的訴因追加請求書記載の十五万九千円を費消した事実は同人の自白並に関係人の供述によつて明白ではあるが検察官は特に証拠法の原則を尊重して犯罪の証明が明確である事実のみについてその被害金額を取り上げて、これを変更訴因に記載したものである。然り而して右訴因変更請求書並に予備的訴因変更請求書が実質上前記不明確なる部分の釈明に過ぎないのであつて、包括一罪を数個の訴因を内容とする併合罪に変更したものでないことは当該訴因変更請求書並に予備的訴因変更請求書に記載されてある内容自体によつて極めて明白である。従つて検察官が審判の過程中に於て原審の釈明の求めに応じて前記の如く審判の対象を限定し既判力の範囲を明確にするに足る釈明をなし以て原審が有罪判決を下すにつき既に必要にして充分な訴因を特定、明示した以上本件横領事件の起訴状並に背任事件としての予備的訴因追加請求書には何等欠くる所なく、原審の本件公訴はその提起の手続が法律に違反し無効であると言うのはあたらない。次に、第一の要請における、「訴因の特定」はその根拠を被告人の利益に置いているのであつて、被告人に対して何が審判に附せられたか、又如何なる審判の対象についてその防禦権を行使すべきかを予め知らしめる為に訴因の特定、明示が要求せられているのであつて、この場合、「特定、明示」は第二の場合の「特定、明示」とはその厳格性において緩和されていると解しなければならない。従つて法文にも「訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない」と規定している。これは検察官に対する要求を規律したものであつて法が「できる限り」の文字を使用しているのを見ればこの特定、明示は絶対的のものではないと解すべきである。法は検察官に対し不能を強制するものではない。検察官は本件公訴の提起にあたりその各訴因を能う限りの努力を払い少くとも全体に於てこれを特定してあつたものでこの程度を以て事案は具体的に特定され法文の「できる限り」訴因を特定する要請にも答えたものと言わねばならない。審判の対象が全体として特定された以上被告人はその犯罪事実並に罰条から判断してその全体として特定された横領若くは予備的訴因の背任の数個の訴因に限定してその範囲で防禦に重点を直くことは可能であり、又当然である。この程度の特定により被告人の防禦に実質的な不利益を及ぼすとは考えられないのである。然るに原判決が前示の如く「訴因を特定して起訴すべきことは、刑事訴訟法第二百五十六条によつて明定せられているところであり、特定して起訴すると言うことは絶対的に要請せられている」と説示しているのはこの「特定、明示」には上述の二つの場合があることを看過しその法文の辞句精神を無視した議論と言わざるを得ない。

はたして然らば原判決は適法な公訴を不適法なものとし、本件公訴を不法に棄却した違法あるものと言わざるを得ず、該違法は判決に影響を及ぼすこと明白なるを以て到底破棄を免れないものと思料する。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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